新宿2丁目はカード案件をやっている時に先輩に毎週末連れて行ってもらってた「さぶ」ですが、十数年ぶりに2丁目に行くことになり「さぶ」を調べても出てこずで、2丁目に詳しい友人にお勧めのお店として武玄(たけくろ)を教えていただき行くことになりました。
武玄の魅力は、他のお店では味わえない独特の雰囲気です。初めての方でも気軽に立ち寄ることができ、常連客も多く、アットホームな空間が魅力です。新宿二丁目で特別な夜を過ごしたい方は、ぜひ武玄を訪れてみてください。
アクセス
〒160-0022
東京都新宿区新宿2丁目12ー14 ニューフタミビル 5F
営業時間/定休日

月曜日 | 定休日 |
火曜日~土曜日 | 22時~翌6時 |
日曜日 | 15時~翌6時 |
武玄ソーシャルメディア
新宿二丁目
1951年、新宿三丁目に開業した「イプセン」という店が新宿のゲイバーの原型と言われています。
その後も現在でいうところのゲイバーのようなお店が新宿三丁目に複数出店したものの、その後新宿二丁目がゲイバーのメッカとなります。
1960年代にはすでに新宿二丁目にゲイ向け・レズビアン向けの店舗が複数存在していたようで、1970年代には、現在の街並みに近い状態になっていたそうです。
異性愛者向け風俗店は1960年代、1970年代に入ってもヌードスタジオ、トルコ風呂(現在のソープランド)などが存在していましたが、80年代に入ると同性愛者向け店舗が圧倒するようになります。
戦後初のゲイバー「やなぎ」
戦後初のゲイバーは1945年(昭和20年)、新橋の烏森神社参道に開店した島田正雄(通称:お島さん)が経営する「やなぎ」といわれ、比較的女装バーの色合いが強い店であった。美輪明宏は戦後初期の状況について「そのころゲイバー(という言葉さえなかった)と言えば、『ブランスヰック』、神田(の前は日本橋)『シレー』、上野『市蝶』、新宿『夜曲』くらいのもので、その後に新宿に『イプセン』(1951年)がやっとできた時代だった」といっている。
新宿二丁目初「イブセン」
新宿二丁目は1958年の売春禁止法によって空家となった元赤線の店などを利用してゲイバーが数を増やしていったといわれています。(赤線 = 1946年のGHQによる公娼廃止指令により日本の公娼制度は廃止されましたが、新宿2丁目などは風俗営業法の許可を得た特殊飲食店が100件近く存在する赤線地帯として、売春禁止法の施行まで生き残りました。なお、風俗営業法の許可を得ていないモグリの店は青線と呼ばれていました)
売春禁止法施行以前に先駆け的に誕生したイプセンは、当時の新聞に「男色居酒屋」という見出しで掲げられ、「この世にこんな気味の悪い場所があるのか」、といった論調の記事がかかれたこともあったそうですが、1980年代末まで営業をし続けました。お店を閉じた後、マスターは今年2009年の8月に100歳の誕生日を迎えたものの、10月22日にお亡くなりになられたとのことです。
(参考:http://www.pot.co.jp/fushimi/20091025_171817493914780.html)
参考

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