那谷寺(なたでら)は、石川県小松市にある高野山真言宗の別格本山で、養老元年(717年)に泰澄大師によって創建されました。当初は「岩屋寺」と呼ばれていましたが、986年に花山法皇が訪れた際、「求める観音霊場三十三ヵ所がこの山にある」と感じ、札所第1番の那智山と第33番の谷汲山から一字ずつ取って「那谷寺」と改名されました。
境内には、自然の岩が連なる「奇岩遊仙境」や、洞窟は「岩屋胎内巡拜」の場として、魂の再生と浄化を象徴し、岩壁に沿って建てられた「大悲閣(本殿)」など、独特の景観が広がっています。また、江戸時代に加賀藩主・前田利常によって再建された三重塔や護摩堂、書院庭園なども見どころです。特に奇岩遊仙境は、長い年月をかけて形成された海底噴火の跡とされ、国の名勝に指定されています。
那谷寺は、白山信仰と深く結びつき、自然への敬意を重んじる「自然智」の教えを今に伝えています。四季折々の美しい景観が楽しめ、特に紅葉の時期には鮮やかな色彩が境内を彩ります。歴史と自然が融合したこの寺院は、訪れる人々に静寂と癒しを提供する場所となっています。
本尊の千手観世音菩薩像は33年ごとに開扉される秘仏とされ、最近では2017年の開創一千三百年大祭に合わせて公開(4月9日~10月31日)された。
歴史
奈良時代
白鳳3年(682年)6月、越前(福井)に誕生。36歳の時に天女に誘われて養老元年(717年)白山へ禅定しました。九頭龍王が現れ、頂上では姫神の菩薩、他の二山では大己貴神と白山別山大行事が現れ、深く礼拝されました。泰澄開創の社寺は多くありますが、同年秋に岩屋寺(那谷寺)を開き、弟子とともに粟津温泉を養老2年(718年)に発見し、薬師如来をお祀りしました。天平2年(730年)に吉野山現光寺で法相宗の山林修行「求聞持法(ぐもんじほう)」と「自然智行」を実践しました。神護景雲元年(767年)越知山大谷寺の岩窟で86歳で遷化されました。
平安時代
寛和2年(986年)、右大臣藤原兼家の謀事によって出家させられ、書写山円教寺や比叡山で修行、熊野へも巡拝、永祚(えいそ)元年(989年)北陸へ旅立たれました。同行する者は3名の従臣だけでした。まず白山へ登られ、次いで小松地域の寺を訪ねられ、最後に岩屋寺(那谷寺)を参詣されました。花山法皇は(西国三十三所の)那智山と谷汲山からそれぞれ一文字ずつ「那」と「谷」を取り、那谷寺と改名されたと伝えられています。
那谷寺は温谷寺(うだにでら)・栄谷寺(さかえだにでら)とともに、天台宗白山三ヶ寺と言われました。後に「源平盛衰記」「白山記」などでは、那谷寺の寺院名があります。
室町時代
那谷の地はオパール、瑪瑙、水晶などが産出しており、那谷寺の観音堂には12個の瑪瑙を有していました。これを周防国(山口県)の大内義隆が所望したため、真宗本願寺の証如が那谷寺へ依頼、5個の瑪瑙を送り、遣明船で明国へと献上しました。南北朝と戦国時代に那谷寺は3度も焼かれましたが、僧義円や霊山寺即伝などが訪れ、密教修験の道場となっています。密教修験と真宗は対立関係にありましたが、那谷寺は証如と結びついていたようです。
江戸時代
戦国・安土桃山時代に那谷寺は火災に遭ったため、衰退していました。その中で、寛永17年(1640年)春、黄門職として小松城に隠居していた前田利常公が粟津付近にお鷹狩りに来て、那谷寺を見つけました。寛永19年(1642年)にかけて集中して、本殿、唐門、拝殿、三重塔、護摩堂、鐘楼堂および庭園などを造りました。また、復興の折に那谷に通じる参道も整備、両側に杉の木を植えたことから「杉の木街道」と称されました。今も粟津温泉に利常公お手植えの杉「黄門杉」が残されています。
万治元年(1658年)10月、利常公が66歳で逝去。利常公没後、那谷寺は大聖寺藩の管轄となり、また同藩寺社方触頭となったため、那谷寺文書に「宗門改帳」「人別帳」「御触留記」が残されています。
境内
山門 – 阿吽の仁王像が護ります

「自生山」の額が掲げられた山門の扉には、向かって右側に口を開けた阿形、左側に口を閉じた吽形の仁王像がそれぞれ彫られ、邪気を祓っています。昭和51年松久宗琳師の作で、力強さの中に親しみやすさも感じられます。
表参道 – 深遠な自然智へと誘う道

山門をくぐり抜けると、数百年を経た杉椿の樹林に囲まれ、江戸期に寄進された石灯篭が並ぶ静謐な参道が真っすぐに伸びています。その空気はまさに幽邃にして森厳。なお、杉並木は小松から那谷寺にいたる「御幸街道杉」の一部で、寛永年間に加賀藩三代藩主前田利常公が植樹したものです。
金剛華王殿 – 全ての法会が行われる場所

十一面千手観世音菩薩をお祀りする金堂は、平成2年(1990年)の再建で鎌倉時代の和様建築様式、総桧造りです。南北朝の戦火で消失以来、650年ぶりに再建です。京佛師・松久宗琳師作の十一面千手観音は木曽檜の寄せ木つくりで7.8m、金堂の中で厳かに鎮座されています。ほかに白山曼荼羅、泰澄神融禅師、花山法皇像を安置し、壁面は郷土出身の作家による神仏融合の白山信仰を表す作品で飾られています。
三尊石・琉美園 – 阿弥陀三尊のご来迎を胸に

書院奥にひろがる庭園「琉美園」の池中央にそば立つ自然の岩面は3つに別れ三尊石と呼ばれています。岩面の裂けた姿が阿弥陀三尊のご来迎に似ていることから名付けられました。江戸時代には滝が流れ落ちていたこともあり、現在も多くの雨が降ると滝が流れるさまを目にすることができます。晴天時と雨天時、それぞれの神々しい自然のお姿に思わず手を合わせたくなることでしょう。琉美園には小川が流れ、水芭蕉、しゃくなげ、あじさい、つつじが綺麗な彩りをみせてくれます。その一角には茶室「了了案」があります。
奇岩遊仙境 – 自然智を象徴する自然景観

そそり立つ奇岩霊石に、いくつもの窟が開口して観音浄土浮陀落山を思わせます。昔は海底噴火の跡であったと伝えられ、永い年月の間、風と波に洗われて現在の奇岩が形成されました。自然を通してその本源である宇宙を拝みながら、素朴に生きようと望む心の奥深くの自然智を呼び起こす景観で、平成26年に「おくのほそ道の風景地」として新たに国名勝に指定されました。その奇岩山の中腹に、朱色の鳥居が鮮やかな稲荷社をお祀りし、五穀豊穣と豊かな自然をお祈りしています。
※現在、安全と景観保護のため立入禁止となっております。
不動明王の霊水 – 枯れることのない霊水

古来より涸れることなくこんこんと湧き続ける霊水。お手持ちの念珠や指輪などに願いを念じながら霊水をかけると、不動明王の加護を受けられると言われています。清浄な心身でお手を合わせてお受けください。当寺のパワースポットの一つです。
大悲閣(本殿) – 白山信仰の重要な位置にある本殿

一向一揆の兵乱で荒廃しましたが、前田利常公の庇護により寛永19年(1642年)に再建されました。本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されています。昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和24年(1949年)に解体修理、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定されました。大悲閣拝殿・唐門・本殿の3つの重要文化財建造物を総称して本殿と呼んでいます。中には本尊の十一面千手観世音菩薩を安置する「いわや胎内くぐり」があります。ウマレキヨマル場所をご体感ください。
三重塔 – 安定感と華麗さを併せもつ塔

寛永19年(1642年)、徳川家綱の生誕祝に前田利常が建立したものと伝えられています。三層とも扇垂木の手法で各層ごとに組み立てられており、扉に浮き掘りされた唐獅子と牡丹と相まって美麗です。内には胎蔵界大日如来を安置しています。昔の修験者は大日如来をまつりました。元は那谷寺根本堂の本尊でしたが南北朝の戦乱で建物が焼かれた際、白山宗徒の手により火中から運び出されました。昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定され、昭和30年(1955年)に解体修理しました。
風月橋 – 朱色の橋をそぞろ歩いて

奇岩遊仙境を眼下に展望台へとつながる高台の橋から見る眺望は、当寺屈指の景勝をお楽しみいただけます。寛永時代に前田利常公が計画し、現代になってようやく実現したものです。那谷寺が織り成す四季折々の美しさや歴史を感じながらゆっくりとご散策ください。
展望台・鎮守堂 – 高台からの美しい眺め

展望台からの奇岩遊仙境の眺めは心に焼き付くほどの美しさで、季節を問わず「境内で最も美しい眺め」と称されています。展望台の上にある鎮守堂では、秀麗な白山の神様であられる白山妙理大権現をお祀りしています。
護摩堂 – 護摩を焚いて修法を行う

寛永年間に建てられ、昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、同年に解体修理、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定されました。禅宗様を基調にしながら、和様の手法を折衷させた自由奔放な設計です。内部は豪華に金の箔押しを施し、壁面には沈思や柔和、雅戯などの八相唐獅子、四面には干支の動物と牡丹を彫刻し、内陣には平安時代作の不動明王をお祀りしています。
鐘楼 – 心が静まる鐘の音が響きます

寛永年間に建てられ、昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定され、昭和28年(1953年)に解体修理しました。入母屋造、檜皮葺の純粋な和様建築で袴腰の上部まで石造となっているのは、全国でもその例がないものとされています。内部に吊るされている鐘は、朝鮮招来のものと伝えられています。
庚申さん – 縁結びの神として信仰

那谷寺の庚申さんとして昔から親しまれています。心の中で願いながら「南無青面金剛(なむしょうめんこんごう)」と3回お唱えしてお参りください。庚申さんの強い力で障害を取り除き願い事を叶えてくれることでしょう。粟津温泉の恋物語の主人公たちも恋の成就のお礼に参詣したといわれています。毎年1月の第2土曜日の縁結びまつりでは縁結びの赤い糸のお焚き上げを行っています。
芭蕉句碑 – 石山の石より白し秋の風

元禄2年(1689年)、俳聖・松尾芭蕉が参詣し、「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造り、かけて殊勝の地なり。」と「奥の細道」で那谷寺を表現しました。句碑は天保14年(1843年)芭蕉150回忌に建立したものです。
アクセス
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
名称 | 那谷寺 |
読み方 | なたでら |
参拝時間 | 8:30〜16:45(冬季12/1/〜2/28:8:45〜16:30) |
参拝にかかる時間 | 30分〜40分 |
参拝料 | 大人1000円、小学生300円、幼児0円 |
御朱印 | あり |
電話番号 | 0761-65-2111 |
ホームページ | https://www.natadera.com |
住所 | 石川県小松市那谷町ユ-122 |
最寄り駅 | ◼︎JR北陸本線 動橋駅 ◼︎IRいしかわ鉄道線 動橋駅 徒歩約1時間29分 車で約18分 ◼︎JR北陸本線 粟津駅 ◼︎IRいしかわ鉄道線 粟津駅 徒歩約1時間53分 車で約23分 ◼︎JR北陸本線 加賀温泉駅 ◼︎北陸新幹線 加賀温泉駅 ◼︎IRいしかわ鉄道線 加賀温泉駅 徒歩約2時間31分 車で約31分 |
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