フタル酸エステルは、フタル酸(1,2-ベンゼンジカルボン酸) と アルコール が脱水縮合してできるエステル化合物の総称です。主に 可塑剤(かそざい) として広く使用されてきましたが、その環境・健康リスクから近年は厳しい規制対象となっています。
フタル酸エステルは、プラスチック柔軟化に不可欠な可塑剤として普及したが、移行性、環境残留性、内分泌かく乱作用含む健康リスクが判明し、世界で規制が強化された。特に子供用品、食品接触材料、医療用具での使用が大幅に制限されている。現在は安全性の高い非フタル酸系可塑剤への移行が進むが、代替品の性能やコスト、長期安全性評価が課題。敏感な用途では「フタル酸エステルフリー」製品の選択が推奨される。
1. 基本情報と化学構造
- 化学式: 基本骨格はフタル酸 (C₆H₄(COOH)₂) で、2つのカルボキシ基 (-COOH) がそれぞれアルコールと反応しエステル結合 (-COOR) を形成します。
O O
|| ||
C₆H₄ - C - OR₁ と C₆H₄ - C - OR₂
| |
O O
R₁とR₂はアルキル基(炭化水素鎖)です。
この鎖の長さと分岐の有無で、様々な種類のフタル酸エステルが存在します。
- 代表的な種類と略称:
- DEHP (Di(2-ethylhexyl) phthalate): 最も広く使われた。Rが2-エチルヘキシル基。
- DBP (Dibutyl phthalate): Rがブチル基。
- BBP (Benzyl butyl phthalate): R₁がブチル基、R₂がベンジル基。
- DINP (Diisononyl phthalate): Rがイソノニル基(分岐あり)。
- DIDP (Diisodecyl phthalate): Rがイソデシル基(分岐あり)。
- DNOP (Di-n-octyl phthalate): Rがノルマルオクチル基(直鎖)。
- DEP (Diethyl phthalate): Rがエチル基(化粧品などに使用)。
2. 主な用途 (可塑剤として)
- 目的: 硬質プラスチック(特に塩化ビニル樹脂 (PVC))に柔軟性、曲げ性、加工性を与えるため。
- 使用例:
- 建材: 壁紙、床材(クッションフロア、タイルカーペット)、電線被覆、ホース、配管シール材。
- 自動車部品: ダッシュボード、ドアトリム、シート表皮。
- 医療用具: 点滴バッグ、チューブ(一部の代替品移行が進む)。
- 家庭用品: ラッピングフィルム、レインコート、ビニール製カーテン、合成皮革、軟質玩具(近年は規制で激減)。
- その他: インク、接着剤、塗料、化粧品(ネイルポリッシュ、ヘアスプレー等 – DEPなど一部)。
3. 問題点とリスク
フタル酸エステルは可塑剤として優れた性質を持ちますが、以下の深刻な問題点が指摘されています。
- 移行性:
- 化学的にプラスチックと強固に結合しているわけではなく、製品から徐々に溶け出し(遊離し)、環境中(大気、土壌、水)や食品、人体内へと移行します。
- 特に油脂分や高温下で移行しやすくなります。
- 環境残留性と生物濃縮:
- 分解されにくく(難分解性)、環境中に長期間残留します。
- 食物連鎖を通じて生物濃縮される懸念があります。
- 健康影響 (特に内分泌かく乱作用):
- 内分泌かく乱作用 (環境ホルモン作用): 特にDEHP、DBP、BBPは、体内で男性ホルモン(アンドロゲン)の作用を阻害することが示されています。これは発育段階での生殖器系(精巣)の発達障害や、精子数の減少などを引き起こす可能性が懸念されています。
- 生殖毒性: 上記の内分泌かく乱作用に起因する生殖器官への悪影響。
- 肝毒性: 肝臓への負担や障害を引き起こす可能性。
- 発がん性: 国際がん研究機関(IARC)はDEHPを「ヒトに対して発がん性がある可能性がある物質(Group 2B)」に分類しています(主に肝細胞がん)。動物実験では明確な発がん性が確認されています。
- アレルギー誘発性: 皮膚炎や喘息などのアレルギー症状を誘発する可能性が指摘されています。
4. 規制の動向
そのリスクから、世界的に厳しい規制が進んでいます。
- EU:
- RoHS指令: 電気電子機器における特定有害物質の使用制限。DEHP、BBP、DBP、DIBPの4物質が規制対象(2021年7月以降)。
- REACH規則: 高懸念物質(SVHC)としてDEHP、BBP、DBPがリストアップされ、認可なしでの使用・上市が原則禁止。また、製品中に一定量以上含まれる場合は情報伝達義務あり。
- 玩具・育児用品規制: 子供が口に入れる可能性のある玩具・育児用品中のDEHP、DBP、BBP、DINP、DIDP、DNOPの6物質の使用が制限(0.1%以下)。
- 米国:
- CPSIA (消費者製品安全改善法): 子供用玩具・育児用品中のDEHP、DBP、BBPの含有量を0.1%以下に制限。DINP、DIDP、DNOPについても暫定禁止措置や検討が続く。
- 州法: カリフォルニア州のProposition 65など、州レベルでより厳しい規制を設けている場合がある。
- 日本:
- 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律 (化審法): DEHP、DBP、BBPなどは「第一種特定化学物質」に指定され、製造・輸入・使用が原則禁止(用途ごとの例外規定あり)。DINP、DIDPなどは「第二種特定化学物質」として監視・規制対象。
- 食品衛生法: 食品接触器具・容器包装からの溶出規格(DEHPなど)。
- 玩具安全基準 (ST基準): 対象玩具中のフタル酸エステル(DEHP、DBP、BBP、DINP、DIDP、DNOP)の含有量を0.1%以下に規制。
5. 代替品の動向
規制強化を受けて、フタル酸エステルに代わる非フタル酸系可塑剤への移行が急速に進んでいます。
- 代表的な非フタル酸系可塑剤:
- フタル酸系以外のジカルボン酸エステル: アジピン酸系(DEHA, DOA)、シクロヘキサンジカルボン酸系(DINCH)、トリメリット酸系(TOTM)、テレフタル酸系(DOTP/DEPT)など。
- ポリエステル系: 分子量が大きく、移行性が低い。
- エポキシ系: エポキシ化大豆油(ESBO)など。安定剤としても機能。
- リン酸エステル系: 難燃性を持つが、一部に毒性懸念。
- クエン酸エステル系: 生分解性が比較的高く、食品・医療用途で注目(ATBCなど)。
- 課題: コスト、性能(柔軟性、耐寒性、耐熱性など)、加工性、安全性評価の継続など。
マクドナルドで検出
マクドナルドのハンバーガーやポテトなどの食品からフタル酸エステルが検出されたという報告は、主に海外の研究機関や消費者団体によって、ここ数年の間になされています。現時点で分かっている情報を以下にまとめます。
1. 報告の概要と主な研究
- ジョージ・ワシントン大学などの研究 (2021年発表):
- アメリカの主要なファストフードチェーン(マクドナルド、バーガーキング、ピザハット、ドミノ・ピザ、タコベル、チポトレなど)のハンバーガー、フライドポテト、チキンナゲット、チキンブリトー、チーズピザなど64サンプルを分析した結果、多くの食品からフタル酸エステル類(DnBPやDEHPなど)が検出されたと報告しました。
- この研究では、フタル酸エステルが食品加工の過程(例:手袋、チューブ、コンベアベルトなど)や包装材から食品に移行する可能性を指摘しています。
- 特にDEHPは、食品中の脂肪と結合しやすいため、脂肪分の多い食品で検出されやすい傾向があるとされています。
- Consumer Reports (消費者レポート) の調査 (2024年発表):
- アメリカで販売されているスーパーマーケットの食品やファストフード約100種類をテストした結果、ほぼ全ての食品からフタル酸エステル類が検出されたと報告しました。
- マクドナルドの製品(チキンマックナゲットやフライドポテト、ハンバーガーなど)も検査対象に含まれており、フタル酸エステルが検出されたものの、その濃度は当時の米国や欧州の規制当局が定める許容摂取量や規制値を超えてはいなかったとされています。
- この調査でも、フタル酸エステルが食品包装だけでなく、加工工程で使用されるプラスチック製品から混入する可能性を指摘しています。
2. 検出された量と健康への影響
マクドナルドを含む多くの食品からフタル酸エステルが検出されましたが、多くの場合、その濃度は既存の規制値を下回っていたと報告されています。
しかし、フタル酸エステル類の中には、内分泌かく乱作用(ホルモンの働きを乱す作用)を持つ可能性が指摘されているものもあり、特に胎児や乳幼児への影響、生殖機能への影響、アレルギーや喘息との関連などを懸念する声があります。
科学者や消費者団体の一部は、たとえ微量であっても、日常的に複数の食品や製品からフタル酸エステルに暴露されることによる複合的な影響や、長期的な健康リスクを指摘しています。
一方で、フタル酸エステルは比較的速やかに代謝・排出されるため、体内への蓄積性は低いという見解や、現在の一般的な食事からの摂取レベルでは直ちに健康に重大な影響を及ぼすとは考えにくいという専門機関の意見もあります。
例えば、欧州食品安全機関(EFSA)や日本の食品安全委員会などもフタル酸エステルのリスク評価を行っており、耐容一日摂取量(TDI:一生涯毎日摂取し続けても健康への悪影響がないとされる量)を設定しています。
3. マクドナルド社の対応・見解
マクドナルド社は、食品の安全性と品質管理に取り組んでいることを表明しています。海外のマクドナルドでは、顧客向けの食品包装材から特定のフタル酸エステル類(例:BPA、BPS、フタル酸エステルの一部)を既に排除したと発表している場合があります(2021年頃の発表など)。
また、フタル酸エステルとは異なる化学物質ですが、PFAS(有機フッ素化合物)についても、食品包装材からの全廃に向けた目標を設定しています。
4. まとめと注意点
- マクドナルドを含むファストフードや加工食品からフタル酸エステルが検出されたという報告は複数ありますが、多くの場合、検出量は各国の規制値を下回っています。
- しかし、微量でも長期的な暴露による健康影響を懸念する声もあり、特に感受性の高い乳幼児や妊婦の方は注意が必要とする専門家もいます。
- フタル酸エステルは、食品以外にも日用品(化粧品、おもちゃ、建材など)にも広く使用されているため、私たちは様々な経路から暴露されている可能性があります。
- 消費者としては、バランスの取れた食生活を心がけること、特定の食品に偏りすぎないこと、そして信頼できる情報源から最新の情報を得ることが大切です。
中国の通販サイトSHEIN製商品で検出
中国発のファッション通販サイトSHEIN(シーイン)の商品から、フタル酸エステルを含む有害な化学物質が検出されたという報告は、複数の国の規制当局や消費者団体、メディアによってここ数年の間になされています。
1. 検出の報告と主な事例
- 韓国ソウル市の調査 (2024年~継続中):
- ソウル市は、SHEINやTemu、AliExpressといった海外オンラインプラットフォームで販売されている子供向け製品を中心に、定期的な安全検査を実施しています。
その結果、SHEINが販売する子供用の靴やバッグ、ベルトなどから、基準値を大幅に超えるフタル酸エステル類が検出されたと複数回にわたり発表しています。ある子供用の靴からは、韓国の安全基準の428倍ものフタル酸エステルが検出されたケースも報告されています。また、別の靴では基準値の229倍という報告もあります。 - フタル酸エステルの他にも、一部の帽子からは基準値を超えるホルムアルデヒド、マニキュアからはジオキサンやメタノール、乳児用繊維製品からは鉛やカドミウムなどが検出された事例も報告されています。
- ソウル市は、これらの不適合品についてSHEINに対し販売中止を要請しています。
- ソウル市は、SHEINやTemu、AliExpressといった海外オンラインプラットフォームで販売されている子供向け製品を中心に、定期的な安全検査を実施しています。
- グリーンピースの調査 (2022年):
国際環境NGOグリーンピースは、SHEINの製品(大人向け衣類、子供向け衣類、靴など)を分析した結果、EUの規制値を超えるフタル酸エステル類やホルムアルデヒドなどの有害化学物質が検出されたと報告しました。
この報告では、SHEINのビジネスモデルが環境や健康に与える影響について警鐘を鳴らしています。 - その他の国での指摘:
マルタの競争・消費者問題局(MCCAA)も、SHEINやTemuが販売する子供用の靴から基準値を超えるカドミウム、鉛、フタル酸エステル、パラフィンが検出されたとして、リコールを命じたと報じられています。
2. SHEIN側の対応
- SHEINは、製品の安全性に真摯に取り組んでいると表明しています。
- サプライヤーに対して、SHEINが定める管理基準や製品安全基準を遵守することを求めており、国際的な第三者試験機関と協力して定期的な製品テストを実施しているとしています。
- 製品に関する問題が指摘された場合には、予防措置として直ちに該当製品をサイトから削除し、調査を行うと説明しています。調査の結果、基準を満たしていないことが確認された場合には、適切なフォローアップ措置を講じるとしています。
- 2024年には200万件以上の製品安全テストを実施したと発表するなど、製品の安全性と持続可能性への取り組みを強化しているとアピールしています。
3. 各国の規制当局の対応
- 韓国ソウル市のように、問題が発覚した製品については販売中止を要請するなどの措置が取られています。
- EUなどでは、特定のフタル酸エステル類について、おもちゃや育児用品、その他の消費者製品への使用が厳しく制限されています(REACH規則など)。
4. まとめ
SHEINの製品からは、特に韓国ソウル市の検査などを通じて、基準値を超えるフタル酸エステルなどの有害化学物質が検出された事例が複数報告されています。これらの物質は、健康への悪影響が懸念されており、特に子供向け製品での検出は大きな問題とされています。
SHEIN側は製品の安全性を重視し、問題発覚時には製品の削除や調査を行うといった対応を示していますが、消費者としては、製品の価格だけでなく、安全性に関する情報にも注意を払い、信頼できる情報源から最新の情報を得ることが重要です。
オンラインで購入する安価な製品については、生産背景や安全基準が必ずしも明確でない場合があるため、購入時には注意が必要です。
まとめ
フタル酸エステルは、PVCを中心としたプラスチックに柔軟性を与えるために不可欠な可塑剤として20世紀に広く普及しました。しかし、その移行性の高さ、環境残留性、そして特に内分泌かく乱作用を含む深刻な健康リスクが明らかになるにつれ、EU、米国、日本をはじめとする世界各国で厳しい規制の対象となりました。特に子供が関わる製品(玩具、育児用品)や食品接触材料、医療用具などでの使用は大幅に制限・禁止されています。
現在は、より安全性の高い非フタル酸系可塑剤への移行が業界全体で進められていますが、代替品の性能やコスト、長期的な安全性の評価などが引き続き重要な課題となっています。製品を購入・使用する際には、特に敏感な用途(子供用品、食品容器など)では「フタル酸エステルフリー」などの表示に注意することが推奨されます。
コメント