職場の不正、許せない?でも待って。正義感だけの内部告発は、あなたをヒーローにするどころか、名誉毀損で訴えられる危険なワナ。告発には「真実だと信じる根拠」が必須で、私怨やウワサ話は保護対象外。斎藤知事の騒動のように、証拠なき告発はメディアに踊らされるだけ。自分のキャリアを守るため、
内部告発・公益通報制度への誤解と悪用リスク
- 制度の一般への不理解: 内部告発や公益通報の制度を一般の人が正確に理解していることはほとんどないと考えられています。
- 法律の目的の誤認: 法律は基本的に何かを「保護する」ために制定されているのではなく、保護されるべき対象の「権利の侵害行為を規制する」ために制定されているという事実が理解されていない。例えば「公益通報者保護法」は、通報者の権利を第三者が侵害しないために制定されており、結果として保護が生まれるが、保護自体が目的ではないと説明されています。
- 「保護ありき」の危険性: 「告発内容の真偽はひとまず置いておいて、まずは保護すべきだ」という考え方は、悪質な告発が増える可能性をはらんでおり、組織にとって危険な要素だと指摘されています。例えば、組織のイメージダウンを目的とした虚偽の告発が増えるリスクがあります。
- 「不正の目的」による告発の無効性: 告発者の目的が不正の利益を得るため、他者に損害を与えるため、自己保身、社長失脚、私的利益、脅迫、加害目的などである場合、公益通報者保護法による保護は受けられないと明確に規定されています。
- 「真実相当性」の欠如: 内部告発や公益通報は、原則としてその内容が「真実」であると信じるに足る相当の根拠がなければ認められません。告発内容が虚偽であれば保護の対象外となり、告発者は名誉毀損で訴えられる可能性もあると指摘されています。
- 企業への不利益: 告発があった際に「保護を最優先」にしてしまうと、企業側は告発内容が虚偽であっても、裁判が終わるまでの数年間、評判を下げたまま耐えなければならず、企業側の損失が大きすぎると問題視されています。
斎藤知事に関する告発文(怪文書)の内容と信憑性
- 「真実相当性」の欠如: 告発文には「真実と信ずるに値する根拠」がどの程度含まれているか疑問だとされています。その内容は「憶測」「推測」「伝聞」に満ちており、客観的な事実や証拠が示されていません。
- 「神の視点」による記述: 告発者がその場にいて見聞きしたのか、誰かから情報を受けて相談されたのかといった記述がなく、まるで「神の視点」で書かれているため、内容が「嘘くさい」とされています。
- 扇動的な表現: 亡くなった井戸先生の死因と斎藤知事の行動との因果関係が不明確でありながら、「斎藤知事の仕打ちが命を縮めたことは明白である」と断定するなど、感情的で断定的な表現が多いと指摘されています。
- 事実関係の演出: 副理事長の解任が突然の「通告」であったかのように書かれていますが、斎藤知事が着任初期から高齢者の外郭団体からの退職を求めていた事実を考慮すると、これは「演出」であり、当事者には予期できたことだったと推測されています。
- 個人の利益を公益と誤認: 震災30周年を「事実上最後の大きな景気」と表現し、特定の高齢者が組織にいることの重要性を強調していますが、これは組織がその人たちのためのものではなく、被災者のためのものであるという「公益性」の観点からずれていると批判されています。
- 具体的な証拠の欠如: 選挙の事前運動や贈収賄(同等品の要求)に関する疑惑は記述されているものの、誰が、どのように、いつ、何をしたのかといった具体的な事実や、それを示す証拠(メモ、録音など)が一切示されていません。告発者自身が因果関係を証明できていないにもかかわらず、結果論で結びつけていると指摘されています。
- 悪意ある記述: 知事の「おねだり体質は県庁内でも有名」といった記述は、告発者のパワハラ的な性質をうかがわせ、人を小馬鹿にしたような言葉遣いであると述べられています。
公益通報に該当する可能性が高いとされる主な根拠
元県民局長の文書が公益通報に該当する可能性が高いとされる主な根拠は以下の通りです。
- 「通報対象事実」の存在
- 文書には、少なくとも阪神・オリックス優勝パレードにかかる信用金庫からのキックバックについて「背任罪の可能性」がある内容が含まれているとされています。
- この件については、刑法の背任行為として県警に刑事告発が受理されていることも指摘されており、これが公益通報の対象となる事実(通報対象事実)であると判断されています。
- 「真実相当性」は公益通報の成立要件ではない
- 齋藤知事は、文書に「真実相当性」がないと繰り返し主張していますが、委員会は、「真実相当性」は公益通報に当たるか否かとは関係なく、通報者が保護されるための要件にとどまると明確に述べています。つまり、告発内容が完全に真実である必要はなく、通報自体は公益通報として成立しうるということです。
- 「不正な目的」ではないと断言できない
- 県人事当局は、元県民局長の公用メールやパソコンのデータから「クーデターや転覆」を思わせる言葉や「知事を貶める資料」が見つかったことを理由に、文書配布が「不正な目的の行為」に当たると判断していました。しかし、委員会は、これらの判断が文書入手・協議時点(3月20日、21日)には公用メール等の調査が行われていなかったことから、文書の内容から不正な目的が明らかでない限り、その判断は調査後に行われるべきであり、通報時点で行うべきではないと批判しています。
- また、複数の参考人の意見として、「専ら」公益を図る目的である必要はなく、交渉を有利に進めようとする目的や事業者に対する反感などの目的が併存しているというだけでは、「不正の目的」とは言えず、不正目的の認定は慎重に行う必要があるとされています。
- 今回の調査では、元県民局長が斎藤県政に不満を持っていたことはうかがえるものの、元県民局長は文書作成を「後輩職員のためを思い行った」と主張しており、**「不正な目的であったと断言できる事情はない」**と結論付けています。
- 外部への通報の妥当性
- 元県民局長が議員、マスコミ、警察の特定の者に対して文書を配布した行為は、公益通報者保護法上の「外部公益通報」に当たる可能性が高いと判断されています。
- 公益通報者保護制度の趣旨として、内部通報に限定されず、行政機関やその他外部への通報が公益通報となる場合も通報者を保護する体制整備が求められるとされています。
これらの点から、文書には公益通報の対象となる事実が含まれており、また、通報者の目的や真実性の有無にかかわらず、公益通報として成立する可能性が高いと判断されています。
メディアの報道姿勢
- ジャーナリズムからの逸脱: メディアの報道姿勢は「本来のジャーナリズムとはかけ離れた姿」であると厳しく批判されています。
- 情報操作: 公益通報者の保護が当然であるかのような主張を繰り返すなど、一種の「情報操作的」な報道が行われていると指摘されています。
- 真実の追及不足: 法解釈の相違や告発内容の真実性に関する議論を一切報道せず、漠然と「問題であるかのように報道し続ける」姿勢が問題視されています。
- 安易な鵜呑みと加熱報道: 告発文の信憑性を深く検証せず、メディアがこれを「鵜呑み」にして報道を加熱させ、知事の失脚を狙ったかのような動きを見せたとしています。
- 報道の「降りどころ」の喪失: 委員会での調査で証拠が出なかったにもかかわらず、一度振り上げた手の降ろしどころを見失い、報道を止められない状況にあると分析されています。
- 政治的背景の無視: 斎藤知事の政策(外郭団体の見直しや天下り先の締め付け)が、議会や既得権益を持つ人々からの反発を招いていたという背景をメディアが報道しないと指摘されています。
百条委員会の問題点
- 中立・公正性の欠如: 百条委員会は「中立公正な立場」で議論すべきであるにもかかわらず、世論の流れを受けてか、「中立ではない」と強く批判されています。
- 法の理解度不足: 委員会関係者が公益通報者保護法の理解度が低いまま、「明らかに斎藤さんに非がある」という目で物事を既に見てしまっているため、その活動自体の意義が失われているとされています。
- 証言の収集不足: パワハラに関する「立証されるような証言は得られませんでした」という結論を下しており、実態解明に至らなかったと述べられています。
日本社会・政治構造の腐敗
- 「腐った日本社会」の一例: 今回の騒動は、「至るところが腐っている」日本社会の「一つの例」として取り上げられています。
- 天下り・外郭団体の問題: 県の職員OBが定年を超えて外郭団体に居座る「天下り」の実態や、それらの団体が多額の借金を抱え、税金で補填されているといった問題が指摘されています。
- 政治における「正しさ」と「正義」の乖離: 議会側(議員)は外郭団体などと「利害関係者」であり、知事の改革によって自分たちの利益が失われるため、知事を叩く動機があると指摘されています。日本では、「正しさ」が必ずしも「正義」とイコールではなく、自分たちにとって都合の良い政策かどうかで判断される傾向があると述べられています。
- 公務員の過酷な現状: 公務員の自殺者や休職者が年間数十人単位で存在する「歪な組織」の実態があり、今回の事件もその一側面であると示唆されています。
これらの問題点が複雑に絡み合い、今回の斎藤知事を巡る騒動が、単なる告発問題以上の根深い社会構造の問題を露呈させていると、この動画では主張されています。


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