「弱い円の正体 仮面の黒字国・日本」の書評

読書

私はIT業界で、データセンターにおいて物理サーバ構築を行っているインフラエンジニアです(本業はプログラマーですが、インフラに魅了され、自宅で約250万円相当のDell製サーバを運用し、ネットワークも好きなため、Force10のスイッチを自宅で2台運用しています)。2007年頃、大量のログファイルを長期間安全に保存する必要があり、ストレージの増設を検討していた際に、新しいソリューションを探していてAWS S3と出会いました。これが私とAWSの最初の出会いです。

S3の仕様を確認すると非常に優れており、長期間のデータ保存にも適していて、コストパフォーマンスも良いことから、試験的に契約し、ログの保存場所として利用を始めました。

その後、AWSはEC2などのサービスをリリースし、2011年頃には本格的にサービスのインフラとして利用できるレベルに発展しました。私がプログラマーとして参画した案件でAWSを使ったインフラ構成を目にする機会がありました。インフラを経験したことのない開発者が主体で構築したインフラを見ると、「開発者がインフラを手がけるとこうなるのか」と感心する部分がある一方で、適当な構成でも問題なく動作していることに、AWSの凄さを感じました。

ここで感銘を受けたのは、Amazonの戦略です。インフラエンジニアよりも圧倒的に人数が多い開発者をターゲットにし、「開発者でもインフラを構築できる」という点をうまくアピールしたことです。この戦略は、AWSが市場で圧倒的な地位を築く要因となったと考えます。

しかし、AWSの利用が進むにつれ、私は日本の将来に対して一抹の不安を覚えるようになりました。もしAWSを利用することになれば、日本国内のインフラ運用費用がアメリカに流出することになります。国内の顧客はAWSの利用料に加えて、開発会社に運用費用も別途支払う必要があり、結果としてランニングコストが高くなります。さらに、AWSが社会インフラとしての地位を確立する中で、Amazonがインフラのコストを値上げしたり、為替の影響(当時は1ドル=110円程度とまだ安定していましたが、2025年2月現在では1ドル=150円を超える円安となり、同じ100米ドルでも支払い金額が大きく変わります)によって、海外のインフラに依存していると日本でデータインフラの維持が困難になる可能性もあります。

そうした中、NECや富士通がAWSを利用しているという記事を目にし、「これはもう不可逆的な状況になった」と感じました。NECや富士通は自社ブランドのサーバも手掛けており、開発からインフラまで一気通貫でお客様のニーズに対応していましたが、インフラ部分をAWSにアウトソーシングした判断は短期的には正しいものの、長期的にはインフラ部分が技術的に空洞化してしまう恐れがあります。

さらに、総務省が住基ネットの基盤をAWSに移行するという記事も見かけ、日本国としてAWSにお墨付きを与えたようなもので、「本格的に戻れない一線を超えてしまった」と強い危機感を抱きました。

加えて、近年日本は海外のデジタルサービスへの依存度が高く、クラウドサービスの利用料だけでなく、ゲーム、動画配信、音楽配信など様々なデジタルコンテンツの消費によって、多額の資金が海外のプラットフォーマーへ流出しています。AWSのような海外プラットフォーマーの利用拡大は、このデジタル赤字を拡大させる一因となっていると言えるでしょう。国内のデジタル産業の育成や競争力の強化が急務であり、そうでなければこの流れは止められないでしょう。

AI時代ではデータセンターが重要になることが予想されますが、世界的に見ても高い日本の電力コストでは競争力が圧倒的に不利です。それでも、政府としてNECや富士通を採用し、重要な個人情報を日本企業が国内で管理・運用するようにしていただきたいと考えています。

2024年のデジタル赤字は6兆円に達しており、そのすべてがAWS由来ではないものの、この6兆円を国内のデータセンター投資としてサーバ構築、人材育成に充てた場合、どれだけの雇用が生まれるか計り知れません。

個人的には、インフラの指定がない案件では必ずSAKURAのクラウドを勧めています。AWSほどのサービス数はありませんが、必要最低限の機能は網羅しており、長期運用においても不安に感じたことはありません。

著者より

経常収支黒字国や対外純資産国というステータスは一見して円の強さを担保する「仮面」のようなものであり、「正体」としてはCFが流出していたり、黒字にもかかわらず外貨のまま戻ってこなくなったりしているという実情がある。その意味で、日本は「仮面の黒字国」とも言える状況にあり、統計上の数字からだけでは見えてこない「正体」に迫る努力が必要というのが筆者の問題意識である。

目次

第1章:「新時代の赤字」の正体
第2章:「仮面の黒字国」の実情
第3章:資産運用立国の都合な真実
第4章:購買力平価(PPP)はなぜ使えなくなったのか
第5章:日本にできることはないのか――円安を活かすカード

個人的メモ

  1. 円安の構造的要因
    • 単なる一時的要因ではなく、長期的な経済停滞(2012年以降の企業行動変化)と金融緩和の副作用が複合的に作用
    • 日本経済が「途上国体質」へ回帰するリスク(輸出依存型経済への逆戻り)
  2. 統計と現実の乖離現象
    • 経常収支黒字(2022年11.4兆円/2023年21.3兆円)にもかかわらず円相場が急落(2022年最大35%下落)
    • 仮面の黒字国」現象:
      → 統計上の黒字が実際の円買いキャッシュフローに反映されていない可能性
  3. 新たな赤字構造の顕在化
    • 貿易収支赤字(2022年約20兆円)に加え、「その他サービス収支」の赤字拡大が無視できない影響
    • 資源価格依存型の赤字とは異なる新時代の赤字構造が進行
  4. 伝統的理論の限界
    • 「米国金利低下→円高」という従来モデルが構造変化で機能不全に陥っている可能性
    • 経常収支黒字・対外純資産国のステータスが必ずしも円強さを担保しない新状況
  5. 分析視点の転換必要性
    • 表面的な数値分析から脱却し、企業の資金還流パターン外貨滞留状況に注目
    • 統計の仮面」の裏にある実体経済のキャッシュフローを精査する重要性
  6. 政策効果の再検証
    • 金融緩和がもたらした短期的景気浮揚効果中長期的構造脆弱性の両面性
    • 円安依存型経済構造からの脱却に向けた根本的な改革の必要性
  7. 「新時代の赤字」の構造的特徴
    • デジタル分野の外貨流出
      → クラウドサービス(AWS、Azure等)やソフトウェアライセンス利用による支払いの急増→ 海外ITプラットフォームへの依存が恒常的な外貨流出を加速
    • コンサルティング分野
      → 外資系コンサル企業への戦略策定・業務改革費用の増加
    • 研究開発(R&D)分野
      → 海外研究機関・大学との共同プロジェクト支出の拡大
  8. 原油輸入との類似性と深刻性
    • デジタルサービスは「現代のインフラ」として不可逆的な依存状態
    • 価格決定権の不在:
      → 海外IT企業の戦略・為替変動にコストが左右される(例:アマゾンジャパンのプライム会費値上げ)
    • 新たな円安要因
      → 鉱物性燃料輸入に匹敵・超越する「構造的な外貨流出リスク」
  9. 日本経済への具体的影響
    • 企業の国際競争力維持と外貨流出のジレンマ:
      → デジタル化推進が逆に外貨流出を拡大
    • 消費者行動の固定化:
      → 値上げ耐性が高いデジタルサービス(例:プライム継続利用)
  10. 政策・産業構造転換の必要性
    • 依存度管理戦略
      → 国内デジタル産業育成・人材強化
      → コンサルティング産業の競争力向上
    • 経済構造の転換
      → 製造業中心から知識集約型・サービス主導型経済へ
    • 国際収支モニタリング
      → デジタルサービス支出の経常収支への影響を継続分析
  11. 従来分析との決定的差異
    • 貿易収支・金融政策以外の「見えない要因」の重要性:
      → サービス収支(特に「その他サービス」)の赤字拡大が円安を持続
    • 政策提言の拡張
      → 為替政策単体ではなく、産業政策・教育投資を含む総合戦略の必要性
  12. 将来リスクの警告
    • 世界的賃金上昇に連動したプラットフォームサービス価格の継続的上昇予測
    • 海外IT企業の独占的価格支配が日本企業のコスト競争力を圧迫する可能性
  13. 「安い日本」現象の深化
    • インバウンド需要拡大と持続的な円安(例:2020-2023年で対ドル35%下落、2024年4月時点で50%超下落)
    • 歴史的な円安継続(2024年一時160円突破後も140円前半で推移)
  14. 外貨資産シフトの加速要因
    • 政府政策の影響
      → 「貯蓄から投資へ」政策と新NISA制度による国際分散投資推進
    • 家計部門の心理的変化
      → 円への信頼低下と「強い外貨」志向の自然発生(資産防衛本能の顕在化)
    • 金融機関の動向
      → 高金利外貨預金キャンペーンの活発化
  15. 資産移動の二面性
    • 攻めの投資(政策意図)
      → 資産成長を目指す積極的なリスクテイク
    • 守りの移行(現実の動機)
      → 円目減り回避を主目的とした防衛的資金移動
  16. 潜在的な経済的影響
    • リスク要因
      → 急激な資金流出による為替市場の不安定化
      → 国内金融機関の預金減少とビジネスモデル転換圧力
    • 機会要因
      → 国際分散投資による家計部門のリスク耐性向上
      → グローバル視点の投資家増加が企業ガバナンス改善を促進
  17. 政策課題と対応策
    • 金融システム管理
      → 外貨シフトが金融システムに与える影響のシミュレーション
    • 投資家教育
      → 為替リスク・長期視点の重要性に関する啓発強化
    • 構造改革の必要性
      → 円の信認回復に向けた経済基盤強化
      → 国内投資環境整備による資金滞留促進
  18. 歴史的経験則の限界
    • 日本人が未経験の「長期円安時代」到来:
      → 高度成長期以降の円高慣れからのパラダイムシフト
    • 従来の金融政策フレームワークでは想定外の事態発生可能性
  19. 社会全体の課題
    • 政府・企業・個人が連携すべき重点領域:
      → 資産防衛と経済成長の両立戦略
      → グローバル金融リテラシーの向上
      → 円安構造を逆手に取った新たな国際競争力構築

レビュー

Zanarkand
Zanarkand

実需取引に基づく為替相場の変動要因を解説

2024年12月2日に日本でレビュー

円相場の変動要因について、実需取引に論点を置き中長期的な目線で解説した本。著者はみずほ銀行チーフマーケット・エコノミストを務める唐鎌大輔氏。前著『「強い円」はどこへ行ったのか』に続き、今回も日本の構造的な円安に対して警鐘を鳴らす内容となっている。
 まず取り上げるのが、米国の巨大プラットフォームサービスに対するお金の支払いを主因とするサービス収支の赤字、「デジタル赤字」である。2023年の同収支は、インバウンドで3.6兆円の黒字を稼いだにもかかわらずデジタル関連で5.5兆円の赤字を計上し、トータルで2.9兆円の赤字であった。今後サービス収支の赤字がやがては経常収支の赤字をももたらし、日本から海外への外貨流出を加速する新たな円安要因となり得る。著者はこう主張し、貿易収支よりサービス収支の影響力が大きくなっている昨今の状況に懸念を示し警鐘を鳴らす。
 2点目は第一次所得収支における「キャッシュフロー上の赤字」である。著者の試算によれば、第一次所得収支の黒字35兆円(2023年)のうちの大半は現地で再投資されたことで、実需の円買いは13.9兆円程度にとどまったという。実需の為替取引に結びつかない以上、統計上の経常収支は黒字でも円安は進行するという仮説だ。(2023年の日本の経常収支21.3兆円の中身は、貿易収支▲6.5兆円、サービス収支▲2.9兆円、第一次所得収支+34.9兆円、第二次所得収支▲4.1兆円。よって日本の経常収支黒字は第一次所得収支黒字を考えることに等しい。)
 以上が第1章、2章の論旨で、続く第3章では新NISA稼働に伴う金利への影響(前著のキャピタルフライトによる為替への影響に加えて、邦銀に代わる国債購入主体が現れるかという懸念)、第4章では購買力平価(PPP)と円相場の関係性を解説し、日本においてPPPが使い物にならなくなった背景を探る。最後の第5章では、「円安を活かすカード」を提言し、旅行収支に加え対内直接投資の促進が現時点では一番適切だとの案を示す。
 サービス収支に含まれるデジタル赤字、実需の伴わない第一次所得収支の黒字、この状況は大きく変わりようがなく、ゆえに今後の日本は中長期的に円安が進行することが危惧され、これに社会がどこまで耐えられるかと、著者は問題提起する。これが本書の要諦である。日本の経常収支の中身を細かく分析し、今後の中長期的な為替動向を展望(そして憂慮)する論旨となっていて、とても勉強になる内容だった。いくつか挟まれているコラムも読み応えがある。決して易しくはない内容を取り扱っているにもかかわらず、読みやすい本に仕上がっているのは、著者の力量と言えるだろう。

Ex-London Runner
Ex-London Runner

値段の何倍、何十倍もの値打ちある本でした。

2024年8月13日に日本でレビュー済み

先日の植田ショックによる為替変動・株式市場の暴落で、ベンツ(Cクラス)4台相当分の値下りを経験し、顔面蒼白・周章狼狽。今後の投資戦略練り直しの参考にと藁にも縋る思いで本書を買い求め、丸二日で読了。

内容はネタバレになるので割愛しますが、著者の論点は、ほぼ全て「目からウロコ」で、値段(千円)の何倍、何十倍もの価値があると感じさせる内容でした。本書の校了日(本年6月)は時系列的には植田ショック(7/31)の前ですが、その後の為替相場の推移(円キャリー取引巻き戻しにより、一旦¥141台まで円高が進行したが、8/13時点で¥147.80まで円安戻る)を見るに著者の議論は依然として有効で、著者が言うところの「腐らない議論」の確かな証左だと感じる。

唯一、私が首肯できなかった著者の論点は、「今後、(新NISAを契機として、オルカンやS&P500等の外国投資信託に民間金融資産が流れ)家計の円売りが進めば、円の現預金が減少し、銀行が国債を購入する原資が減少する結果、円金利が上昇する懸念がある」という指摘(第三章P199-204)だった。 

参考

日本の「デジタル赤字」は2024年に6兆円超えへ、クラウド普及背景に増加の一途
日本の企業や個人から海外のIT企業に対する支払いが増え続けている。その規模は日本企業が海外で稼ぐデジタル関連の取引を大きく上回り、いわゆる「デジタル赤字」の拡大が続いている。

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