
上野・秋葉原・御徒町お散歩
御徒町駅周辺は、アメ横の賑わいだけでなく、歴史と信仰が息づく多様な寺社への玄関口です。商店街の真上にあるユニークな摩利支天徳大寺から、学問の神様として名高い湯島天満宮、都内最古のお稲荷様である下谷神社、そして徳川家の威光を今に伝える上野東照...
浄名院は寛文6年(1666年)に開創され、四代将軍徳川家綱公の母・宝樹院の菩提所として栄えました。ぜんそく・病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。
歴史
寛文6年(1666年)、圭海大僧都によって開山された。当院は寛永寺の塔頭であり、「寛永寺三十六坊」の1つである。江戸幕府4代将軍徳川家綱の生母の宝樹院の菩堤所でもあり、当初は「浄円院」という名称であった。享保8年(1723年)に「浄名院」に改称された。
八万四千体地蔵
当院は「八万四千体地蔵」の寺として知られている。これは1879年(明治12年)に当院第38世住職妙運大和尚が84,000体の地蔵菩薩像の建立を発願したのが起源である。寛永寺貫首(輪王寺宮)だった北白川宮能久親王を始め、華族や財閥なども賛同して多くの地蔵を奉納、これは現在まで続いている[1]。
また明治初期の廃仏毀釈で富岡八幡宮の別当寺だった永代寺が廃寺になり、「江戸六地蔵」の一つだった地蔵も破壊されたため、現在では当院が建立した地蔵の1体を「江戸六地蔵第6番」と称するようになった。
へちま寺
また別名の「へちま寺」としても知られている。喘息治癒の功徳があるとされ、旧暦8月15日に「へちま供養」が執り行われ、当日は多くの参詣者が訪れる。当院に墓地はなく、この「へちま供養」によって、経営が成り立っているという。
アクセス
参考

寺院について
江戸時代から続く名刹「浄名院」。緑の樹木に覆われた境内は約千六百餘坪。お地蔵信仰、全国合計約4万八千体もののお地蔵さん、「へちま加持祈祷会」江戸六地蔵で有名です。
浄名院 (台東区) - Wikipedia
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