天台宗 昌翁寺

観光

慶長年間(1596年 – 1615年)、飯高貞政の開基である。貞政はこの地を領する旗本で、後に息子の貞次に家督を譲り、寺の創建を発願した。貞政は所領170石のうち、1割近い14石を新寺に寄進し、快要法印を開山として招聘し、寺を創建した。仙川八幡神社の旧別当寺であった。

当寺の墓地には、開基の貞政の墓がある。

歴史

昌翁寺は慶長年間(1596~1615)現在地に創建されました。
記録によれば「境内八段、本堂七間半に六間、観音堂二間四方、表門八尺四方四趾柱なり」と記されています。残念なことに明治13年3月28日夜類焼によって悉く灰燼に帰し当時の面影をうかがい知ることはできません。
その後大正14年8月14日五間半四面の本堂、庫裡、書院が再建されました。
次いで昭和60年6月に今の七間四面の本堂、客殿と庫裡が現今需要の合理的な新築となりました。
開山した飯高主水貞政は、もと今川義元に仕え、のち処士として駿河国沼津に住んでいましたが天正18年(1590)家康公に召されて関東入国に随い徳川家旗下(のち破損奉行)として武蔵国仙川村に封ぜられ、采地百七十石廩米三十俵を賜りました。慶長5年関ケ原で勝利をはたした家康公が同8年征夷大将軍となって江戸幕府を開き全国統一を果たしたおり、すでに74歳になった主水貞政は家督を長男貞次に譲り、四恩報謝のため一寺を創立することを思い立ち信縁のあった快要法印に図ったところ法印「わが宿願熟せり」と歓喜し、昌翁寺を創建することとなり、法印は開基となりました。
飯高家は所領のうち十四石を佛供に寄進して昌翁寺が創建されたのですが禄高百七十石のうち十四石もの寄進は主水貞政の創建にかける熱意の程を物語っています。
主水貞政は慶長17年6月19日に没し、快要法印はその25年後寛永14年2月2日遷化しました。
主水貞政の墓は昌翁寺墓地にあります。
本堂には御本尊阿彌陀如来、その他観世音菩薩像、不動尊像、閻魔王像、寿老人像が安置されております。

アクセス

山号大慈山
院号永久院
宗旨・宗派天台宗
本尊阿弥陀如来
開山快要法印
開基飯高貞政
名称昌翁寺
御朱印あり
電話番号03-3300-2860
住所東京都調布市仙川町3-7-1
最寄り駅◼︎京王線 仙川駅
 徒歩約5分

◼︎京王線 つつじヶ丘駅
 徒歩約27分

◼︎京王線 千歳烏山駅
 徒歩約35分

参考

昌翁寺 - Wikipedia

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