読み方は「はなぞのじんじゃ」です。新宿駅の東口に鎮座し、歌舞伎町やゴールデン街もすぐ近くです。西にある熊野神社とともに、新宿の総鎮守として崇敬され、盛大な酉の市でも知られています。
花園神社のご利益は、商売繁盛・五穀豊穣・武勇長久・芸能関係などです。
内藤新宿の鎮守。江戸時代以前に大和国吉野山より勧請した稲荷社。もとは新宿3丁目交差点付近にありましたが、寛永年間(1624~44年)に現在地に遷りました。当時は「四谷追分稲荷」「三光院稲荷」、また近隣の尾張徳川家別邸の花園にちなんで「花園稲荷」とも称されました。しばしば火災に遭って焼失し、そのたびに復興資金を集めるための芝居小屋を境内に設け、「三光院芝居」として賑わいを見せました。
社殿は素木造り檜板葺で、千木を掲げた拝殿と土蔵造りの本社でしたが、第二次大戦末期に戦災によって全焼。現在の社殿は、昭和40年に建立されたものです。境内には石造品等が多く、銅製の『唐獅子像』は、新宿区指定有形文化財(彫刻)に指定されています。
ご由緒
ご祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、受持神(うけもちのかみ)の三柱です。
穀物や食物の神である倉稲魂命をお祀りしているのが花園神社、古代日本の英雄である日本武尊をお祀りしているのが大鳥神社、食物の女神である受持神をお祀りしているのが雷電神社で、三社が合祀されている形です。
創建の年代は不明ですが、徳川家康が江戸幕府を開く以前から、新宿を守る総鎮守として存在していたようです。奈良の吉野山より勧請されたともいわれています。
宿場である内藤新宿が江戸時代に設けられると、その鎮守となります。
元は現在よりも南にありましたが、江戸時代の中頃には、多くの花が咲き乱れていた花園の跡地に遷座し、花園神社と称されるようになります。三光院という寺院の住職が別当を勤めたことから、「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも称されたそうです。
昭和3年に近隣にあった雷電神社を、昭和40年には末社だった大鳥神社を本殿に合祀し、社名が現在の花園神社へと改称されます。現在のコンクリート造りの社殿も、そのときに建てられたものになります。
アクセス
①JR/小田急線/京王線 「新宿駅」から徒歩7分。
靖国通りをまっすぐ東側に進むと、左側に鳥居が見えます。大通り沿いですので迷わずに着けるかと思います。
②丸の内線/副都心線/都営新宿線 「西新宿三丁目駅」徒歩1分。
E2出口を出てすぐです。
郵便番号 | 〒160-0022 |
住所 | 東京都新宿区新宿5-17-3 |
最寄駅・アクセス | 都営地下鉄新宿線 新宿駅から徒歩3分 JR山手線「新宿(東口)」徒歩7分 |
電話番号 | 03-3209-5265 |
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