
創建年代は不明である。ただ、前九年の役で出征する源頼義・義家父子が、当社において戦勝祈願をしたと伝えられている。
当初の祭神は八幡神(応神天皇)とは別の神であったと推測されるが、清和源氏の勢力拡大に伴い八幡神が祭神として祀られるようになった。
歴史と見どころ
正確な創建年代は不明ですが、平安時代後期、源頼義・義家親子が奥州征伐(前九年の役)の際に戦勝祈願したという伝承があり、公式な創祀とされる文禄年間(1592~96)よりも古い歴史を持つ可能性が示唆されています。江戸時代には太子堂村の鎮守として信仰を集め、昭和12年(1937)に現在の社殿が造営されました。境内には「しあわせうさぎ」がおり、縁結びや安産のご利益でも親しまれています。
八幡さまのこと
八幡さまは、大分県宇佐の地に「私は、この国と皇室、国民全てを守るために現れた、誉田(ほんだ)天皇(応神天皇)広幡(ひろはた)・八幡麻呂(やはたまろ)である」(古墳時代)と告げられた神さまです。そこに鎮座したのが八幡神社の総本宮=宇佐神宮です。
応神天皇の時代、朝鮮半島との交流を盛んに行いました。そのため、多くの渡来人より、養蚕・機織・稲作の灌漑技術や、漢字などの進んだ文化が取り入られ、国力が発展・増大しました。
その応神天皇の御霊とされる八幡さまは、東大寺の大仏建立に「日本のすべての神様を率いてその大事業を成功させましょう」(奈良時代)と、大きな工業力(鋳造技術)を発揮しました。
そして仏教を信仰する人々よりは八幡大菩薩と仰がれ、民衆救済の神さまとしても信仰されました。平安時代には、新しい都の守護神(石清水八幡宮)となり、やがて源氏が氏神(先祖神)として、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が建立され、幕府政治の要となりました。その後、産業・文化・武門の神として武家、庶民にますます篤く崇敬されてきました。
現在も、特に厄除、家内安全、交通安全、安産、商売繁盛、学業成就、五穀豊穣、殖産興業など、人々の苦難を救い、あらゆる願いに応える多くの御神徳を備えた神さまとして仰がれ、全国で最も広く八幡宮・八幡神社としておまつりされています。
八幡さまのお使いは、白鳩です。平和を守る武門の神の使いとしても、平和の象徴とされる鳩は誠にふさわしいものといえます。
平安時代後期にまつられたと伝えられる「太子堂八幡神社」は、世田谷の要所・三軒茶屋の緑豊かな杜の中に位置し、皆様に親しまれています。
アクセス
ご祭神 | 《主》応神天皇 |
名称 | 太子堂八幡神社 |
読み方 | たいしどうはちまんじんじゃ |
通称 | 太子堂八幡神社 |
参拝時間 | 授与所:10:00~16:00(12:00~13:00は閉所) 開門:5:30~19:00 |
トイレ | 児童公園の公衆トイレ |
御朱印 | あり 毎月変わる月限定御朱印 祝日、祭日の特別御朱印 29日(ふくの日)には飼い猫福ニャンに因んだ猫の絵柄の御朱印など |
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 03-3411-0753 |
ホームページ | https://www.taishido-hachiman.or.jp/ |
住所 | 東京都世田谷区太子堂5-23-5 |
最寄り駅 | 東急田園都市線 「三軒茶屋駅」から徒歩10分 東急世田谷線「西太子堂駅」から徒歩5分 |
参考

コメント