
天慶の昔、平将門が乱を起こした際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願しました。
乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、「勝矢」と命名されました。この古事により、1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられています。
歴代の天皇をはじめ源頼朝、徳川家康などの武将達、また剣豪・塚原卜伝(ぼくでん)、千葉周作をはじめとする多くの武道家達の篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていました。
このような由来から、亀戸 香取神社は「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げています。
御祭神
香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)は、威霊優れた「国家鎮護の神」として仰がれる、我国武将の祖神です。
御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは、非常に意義のあることでした。日本国の守護を固めた事により、農業により深い関係を持ち、国土開発に多大の功績を与えました。このことから、「産業の祖神」とも言われております。
ゆえに大和朝廷におかれても、ことに崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は、香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ、崇敬を尽くされたのであります。
略歴
665年(天智天皇4年)創建。藤原鎌足(当時は中臣鎌足)が東国下向の際、この「亀の島」の地に船を寄せて太刀一振を納め、香取神宮から分霊を勧請し旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉ったのが起源である。
天慶年間(938年 – 947年)、藤原秀郷が当社で平将門討伐の戦勝祈願をし、成就したことから弓矢を奉納し、「勝矢」と命名した。このような経緯から、歴代天皇をはじめ、源頼朝や徳川家康などの武将、武道家の篤い崇敬を受け、武道修行の人々に祖神として崇められた。
近年では宮司が祭神を「スポーツ振興の神」とし、 ANN系列『スーパーJチャンネル』で紹介されてからスポーツ関係の参拝者が急増。知名度を高め各地から参拝客を集めるようになった。
祭祀
- 勝矢祭
藤原秀郷の「勝矢」の故事に因む祭り。当日は武者行列があり、平安時代の鎧兜の装束や陣羽織、裃などを身にまとった氏子、地元小学生の鼓笛隊等が参加する武者行列が亀戸の街を約2kmを練り歩く。沿道などの人出は約10万人にのぼる。 - 亀戸大根収穫祭・福分けまつり
亀戸地区の小学校・中学校等で収穫された亀戸大根を奉納する収穫祭。亀戸大根は江戸末期のに栽培が始まり、当社周辺が栽培の中心地となっていた。周囲の宅地化が進み産地が移ったが、亀戸大根を復活させようという活動が起こり、亀戸地区の各小学校の校庭で栽培されることになった。亀戸大根を奉納する祭りが「福分けまつり」として始められ定着。境内には亀戸大根の栽培の発祥を記念した碑が1999年(平成11年)に建てられた。 - こんにゃく神輿
構造が釘や金具で固定されておらず、寄木細工のように組まれている。そのため、神輿を担ぐと屋根・胴体・台座のそれぞれが別の動きをして「こんにゃく」のように揺れる。国内では当神社を含めて2基しか存在しない。
アクセス
ご祭神 | 《主》経津主神,《配》武甕槌神,大己貴神 |
創建時代 | 665年(天智天皇4年) |
創始者 | 藤原鎌足 |
名称 | 亀戸 香取神社 |
読み方 | かめいどかとりじんじゃ |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
御祈祷受付時間 | 9:30~11:30、13:30~16:00 |
御朱印 | あり |
御朱印受付時間 | 9:00~12:00、13:30~17:00 |
電話番号 | 03-3684-2813 |
ホームページ | http://katorijinja.jp/ |
お守り | あり |
住所 | 東京都江東区亀戸3-57-22 |
最寄り駅 | ◼︎東武亀戸線 東あずま駅 徒歩約15分 ◼︎東武亀戸線 小村井駅 徒歩約16分 ◼︎東武亀戸線 亀戸駅 ◼︎JR総武線 亀戸駅 徒歩約18分 |
その他 | 亀戸七福神第6番 大国神・恵比寿 |
参考

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