
この報告書は、平成29年7月20日に開催された取締役会で、分譲マンション用地の購入に関する取引事故について調査を依頼された件について提出されたものです。報告書は平成30年1月24日に作成されました。
報告書の目的は、この取引事故に関して、その原因究明を行い、会社としてどのような行動が必要であったかを明らかにし、その結果を踏まえ、より良い業務体制にするために、今後、どうすべきかを取締役会に答申することです。
事件の概要
本件は、不動産事業を主とする一部上場企業が、55億5千万円という、史上最大の地面師詐欺被害にあったという出来事です。被害金が会社に騙し取られたと推定される、大手金融機関が振込詐欺で甚大な被害を受けるのと同じで、通常起こりえないことであり、絶対に合ってはならないことであるとされています。
具体的には、株式会社IKUTA HOLDINGS(以下、IKUTA)という会社から、55億5千万円で分譲マンション用地を購入する契約を結んだものですが、この取引は地面師グループによる詐欺でした。地面師グループは、土地の所有者になりすまして、この土地を売却しようとしました。
調査の体制と方法
この事件の調査のために、調査対策委員会が設置されました。委員会は、公益的な視点で、事実関係の経緯を詳細に検証し、発生した原因の究明を行い、会社として、どのような行動が必要であったかを明らかにする目的で活動しました。
調査は主に以下の方法で行われました。
- 関係者ヒアリング: 本件取引に関与した東京マンション事業部及びマンション事業本部の役職員に加え、本社不動産部、法務部等の関係部署の関与者からヒアリングを実施しました。会長や取締役、執行役員、部長などがヒアリングの対象となりました。
- メールチェック: 主要な関係者25名分について、3ヶ月間のメールデータを収集し、重要なポイントとなるメールを選定して抽出しました。
- 入手資料の確認: 契約書や登記関係書類、警察への提出資料などを確認しました。
取引の経過とリスク
取引は以下の流れで進行しました。
- 初期情報の入手: 平成29年3月30日頃に、東京マンション事業部営業次長の小田氏が、知り合いの仲介会社から、地面師詐欺であると認識していなかった土地の売却話があるとの情報を得ました。
- 売買交渉: 土地の購入に向けた交渉が進められました。売買代金は55億5千万円とされました。
- 売買契約: 平成29年4月24日に、売買契約が締結されました。買主は積水ハウス、売主はIKUTAとされました。
- リスク情報の確認: 契約締結後、4月29日から5月23日にかけて、複数のリスク情報が入手されました。これには、売主の本人確認書類や印鑑証明書の真偽に対する疑問、登記関係における不審な点、仲介業者の関与に関する問題などが含まれます。特に、内容証明郵便を利用した本人確認の試みや、登記情報の確認など、複数のリスクが指摘されましたが、これらは十分に解消されませんでした。
- 残代金の支払い: 平成29年6月1日に残代金55億5千万円を支払う予定でしたが、5月31日の時点で、土地所有権移転登記ができず、詐欺であることが判明しました。結果として、積水ハウスは手付金として支払った6億円(後に2億円返還され、最終的に4億円)と、6月1日に支払う予定だった残代金55億5千万円の内、既に準備していた金額を含め、合計55億5千万円の被害を被ることとなりました。実際には、残代金支払いの実行は直前で中止されました。
問題点と責任
報告書では、本件においていくつかの問題点があったことが指摘されています。
- デューデリジェンスの不足: 取引を進めるにあたり、売主の本人確認や登記関係の確認が不十分でした。特に、複数のリスク情報があったにも関わらず、それらが適切に評価・解消されませんでした。
- 組織体制の問題: 不動産部や法務部が、契約内容の確認やリスク情報の把握に関与したものの、これらのリスクが適切に上層部に伝わらず、または適切な判断がなされませんでした。東京マンション事業本部が、リスクを十分に把握せず取引を推進した責任も指摘されています。
- 経営陣の責任: 役員会は、リスク情報があったにも関わらず、十分な検討を行わず、取引の実行を承認した責任があるとされています。代表取締役会長の責任も指摘されています。
概要の時系列
日時 | 所属 | 人物 | 内容 |
---|---|---|---|
平成29年3月30日頃 | 積水ハウス 東京マンション事業部、仲介会社 | 小田氏(営業次長) | 知り合いの仲介会社から、地面師詐欺とは認識していない土地の売却話があるとの情報を得る。 |
平成29年4月3日 | 積水ハウス | 小田氏 | IKUTAからの物件情報を受領、分譲マンション用地としての購入を検討し始める。 |
平成29年4月4日 | 積水ハウス | 東京マンション事業本部、本社関連部署 | 物件購入に関する社内検討を開始。 |
平成29年4月14日 | 積水ハウス、IKUTA | 小田氏、高田司法書士、海老澤 | 売買契約締結を予定していたが、延期となる。 |
平成29年4月18日 | 積水ハウス | 社長、関連役員、担当者 | 物件購入に関する稟議が回付され、決裁される。 |
平成29年4月19日 | 積水ハウス、IKUTA | 海老澤 | IKUTA側の都合により、売主の契約締結日が4月19日となる。 |
平成29年4月20日 | 積水ハウス、司法書士、売主側 | 小田氏、高田司法書士 | 売主と面談し、本人確認書類(パスポート、印鑑証明書)や登記関係書類の確認を行う。 |
平成29年4月24日 | 積水ハウス、IKUTA | 積水ハウス、IKUTA | 売買契約を締結。売買代金55億5千万円、手付金14億、内2億円を返還し、残金6億円を支払う。 |
平成29年4月29日~5月23日 | 積水ハウス 東京マンション事業部、法務部 | 小田氏、近藤氏(法務部)、高田司法書士 | 複数のリスク情報が入手される。具体的には、手付金支払いや仮登記手続きに関する不審点、内容証明郵便での本人確認に対する売主の不自然な反応、ブローカーからのリスク情報(地主が売却を知らない可能性)、本人確認書類や印鑑証明書の真偽に関する疑問など。 |
平成29年5月24日 | 積水ハウス | 担当者 | 残代金支払いに向けた準備を進める。 |
平成29年5月31日 | 積水ハウス、司法書士 | 高田司法書士、担当者 | 所有権移転登記ができないことが判明し、詐欺であることが明らかになる。 |
平成29年6月1日 | 積水ハウス、警察 | 積水ハウス担当者 | 残代金支払い予定日であったが、支払いを中止。警察への相談、被害届提出を行う。 |
地面師詐欺に気付くためのポイント
この事件において、詐欺の可能性に気付き、被害を防ぐためには、取引の各段階で以下のような点に注意し、適切な行動を取る必要がありました。
これらのチェックポイントを各段階で厳格に適用し、少しでも不審な点やリスク情報があれば、取引の進行を停止して徹底的に調査を行うこと、そしてリスクが解消されない場合は取引を中止するというリスク回避を最優先とする判断を行うことが、地面師詐欺に気付き、被害を防ぐために最も重要であったと考えられます。
1. 初期情報入手から契約検討段階
- 情報源の確認と物件の事前調査:
- 知り合いの仲介会社からの情報であっても、その信頼性を盲信せず、情報源やブローカーの素性について十分に確認する必要があります。
- 提示された物件情報に不審な点がないか scrutinize します。特に、短期間での転売話や、相場と比較して不自然に安い、あるいは高額な取引である場合、なぜ売り急いでいるのかなど、その背景を深掘りして調査することが重要です。本件では、80億円の評価に対し55.5億円という高額取引でしたが、売り急いでいる様子は不自然さに繋がる可能性があります。
- 売主とされる人物(IKUTA、背後の人物)について、事前の徹底的な調査を行います。実態が不明な法人や個人との取引には特に注意が必要です。
- 社内連携とリスク評価の早期実施:
- 物件情報が持ち込まれた初期段階から、東京マンション事業部だけでなく、不動産部や法務部など、リスク管理に関わる部署と情報共有を行います。
- これらの部署が早期に関与し、潜在的なリスク(売主の素性、登記関係など)について評価し、必要なデューデリジェンス(適正評価手続き)の内容や深度について提言できる体制が必要です。短期間での稟議・決裁は、リスク評価の時間を不足させる可能性があります。
2. 本人・書類確認段階
- 本人確認書類(パスポート、印鑑証明書)の徹底確認:
- 売主本人とされる人物との面談時には、提示された本人確認書類(パスポートなど)の真偽を専門家(司法書士など)と連携して徹底的に確認する必要があります。少しでも不審な点(写真の不鮮明さ、フォントの不自然さなど)があれば、専門機関に鑑定を依頼するなど、より慎重な対応が必要です。
- 印鑑証明書についても、偽造の可能性を疑い、発行元の市区町村役場への照会などを検討すべきです。
- 登記関係書類(権利証など)の専門家による詳細確認:
- 売主が提示した登記済権利証などの真偽について、登記の専門家である司法書士が詳細に確認します。登記簿謄本と照合し、記載内容に不自然な点がないか、権利関係に疑義がないかなどを徹底的にチェックします。
3. 契約締結後のリスク情報入手段階
- 複数のリスク情報の重要視:
- 契約締結後、手付金支払いや仮登記手続きに関する不審な動き、内容証明郵便での本人確認に対する売主の不自然な反応、ブローカーからの「地主が売却を知らない可能性」といったリスク情報、本人確認書類や印鑑証明書の真偽に関する疑問 など、複数のリスク情報が同時期に入手されたことを極めて重く受け止める必要があります。これらの情報は、詐欺の可能性を強く示唆するサインです。
- リスク情報が解消されるまで、直ちに取引の実行(特に残代金支払い)を停止すべきでした。
- 内容証明郵便への反応確認と疑義:
- 売主とされる人物に送付した内容証明郵便に対する**不自然な反応(返信が遅い、不合理な言い訳をする、受取を拒否する等)**は、本人が真の所有者でない、あるいは取引に関与していない可能性を強く示唆します。このような反応があった場合、詐欺である可能性が非常に高いと考え、直ちに取引を中止すべき決定的なサインと捉える必要があります。
- ブローカー等からのリスク情報の検証:
- ブローカーなどからリスク情報(地主が売却を知らない、取引に関与していない等)が入手された場合、これを無視せず、その信憑性を確認するために、可能であれば地主本人に直接確認するなど、徹底的な調査を行う必要があります。
- リスク管理部署主導による徹底調査:
- 法務部などリスク管理を担う部署が主導し、入手した全ての疑義やリスク情報について、その真偽を徹底的に調査・検証する必要があります。担当部署だけで抱え込まず、組織として連携して対応します。
- 登記可能性の確認と取引中止判断:
- 司法書士から所有権移転登記ができない可能性が示唆された場合、その原因を速やかに特定し、解消の見込みがない場合は取引を中止するという迅速な判断が必要です。登記ができないということは、売主が所有権を有していない、あるいは登記を妨げる問題があることを意味し、地面師詐欺の決定的な証拠となるからです。
4. 残代金支払い実行段階
- リスク未解消段階での支払い停止:
- 上記のリスク情報が解消されていない段階で、残代金の支払い準備や実行を絶対に進めてはなりません。
- 最終的な支払い実行直前であっても、登記ができないことが判明した場合 は、直ちに支払いを中止します。
- 最終確認の徹底:
- 支払い実行前に、改めて全ての関係者の本人確認、権限確認、必要書類(本人確認書類、印鑑証明書、登記関係書類等)の真偽確認を最終的に行う必要があります。少しでも疑問や懸念が残る場合は、支払いを保留すべきです。
- 経営層による迅速な判断:
- 一連のリスク情報や懸念材料について、経営層が適切に把握し、取引を継続するか中止するかについて、迅速かつリスク回避を最優先とする判断を下す必要があります。被害拡大を防ぐためには、経営層のリーダーシップが不可欠です。
まとめ
問題点は多岐にわたっており、個別改善だけでは不十分であり、トップのリーダーシップでプロジェクトチームを設置し、根本的に人事及び制度を見直す必要があるとされています。
総じて、この報告書は、積水ハウスが直面した大規模な地面師詐欺事件の詳細な経過、その原因、そして組織として取るべき対応について述べられたものです。
「積水ハウス55億円地面師詐欺」事件の時系列を以下の表にまとめました。表には、日時、関係者の所属、人物、出来事の内容、および詐欺に気付くためのチェックポイントを記載しています。チェックポイントには、その時点での情報から詐欺の可能性に気付き、被害を防ぐためにどのような確認や対応が必要であったかを示唆する内容を含んでいます。
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