あわづ温泉の守護寺です。真言密教の寺で、約1300年前の養老2(718)年に泰澄大師(泰澄神融禅師)によって開かれました。
霊告に従い粟津の地を訪れた泰澄大師は、村人とともに温泉を掘り当てました。
この時、その力に感嘆した住民の請いに応じて、泰澄大師は首に掛けた掛佛薬師如来と自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残し、「泰應寺(たいおうじ)」と名付けました。これが開創の由来です。
本堂には本尊である一寸八分の掛佛「薬師如来」が、聖観音の円後光の中央上に掛けられ、貴重で稀なる秘仏として安置されています。
ご本尊
一寸八分(約5.4cm)の**薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)の掛佛(かけぼとけ)が、等身大の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)**の光背(こうはい)中央に掛けられているという、稀な「不二一体の秘仏」として安置されています。
山号・宗旨・宗派
- 山号(さんごう): 養老山(ようろうさん)
- 宗派: 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
歴史
約1300年前の養老二年(718年)に泰澄大師(泰澄神融禅師)によって開かれた「高野山真言宗」の寺院です。
泰澄大師は聖域として禁則の地であった霊峰白山を白山神(白山妙理大権現)に導かれて開山された高僧です。
白山の山頂で修行中の泰澄大師の元に再び白山神が十一面観世音菩薩のお姿で現れ、
「この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前はご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい」
と告げられました。
霊告に従い粟津の地を訪れた泰澄大師は村人とともに温泉を掘り当てました。この時、そのお力に感嘆した住民の請いに応じて泰澄大師は首に掛けた掛佛薬師如来と自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残され「泰應寺(たいおうじ)」と名づけられました。これが当寺の開創であります。
その後、中世期に戦火のため建物が焼失した時期もありましたが、 延亨二年(1745年)に僧来順によって再興、「養老山 大王寺」と号し現在に至ります。
ご由緒
泰澄大師が粟津温泉の源泉を掘り当てた際、その力に感嘆した住民の請いに応じ、泰澄大師が首に掛けていた掛佛薬師如来と、自ら刻した聖観世音菩薩を護り仏として残し、「泰應寺」と名付けたことが開創の由来とされています。この「不二一体の秘仏」であるご本尊は、今も大切に安置されています。
伝説
- 粟津温泉開湯との関わり: 大王寺を開いた泰澄大師は、粟津温泉の発見にも深く関わったとされています。傷ついた白い鳩が谷川で傷を癒しているのを見て、その場所に源泉が湧き出しているのを発見したという伝説があります。
- 源義経と尼御前の伝説: 源義経が都落ちする際、同行者の尼御前が先の旅路で足手まといになると憂いて、ここから身を投げたという伝説も伝わっています(ただし、これは大王寺に直接関連するというより、周辺地域に伝わる義経伝説の一部である可能性もあります)。
ご利益
- 身体健全・病気平癒: ご本尊が薬師如来であることから、健康に関するご利益が期待されます。
- 開運招福: 泰澄大師の開いた歴史ある寺院として、幅広い開運のご利益があるといわれます。
- 瞑想・心の安寧: 瞑想の道場としても知られ、心の平穏を求める参拝者にも向いています。
境内の見どころ
- 本堂: 明治期に移築された本堂は、真言宗の荘厳さを持ちながらも、浄土真宗形式の装飾(リスと葡萄の欄間など)が見られる点がユニークです。木鼻の獅子や手挟の鯉、蟇股の雲などの装飾彫刻も見事です。
- 泰澄大師像: 境内には、開祖である泰澄大師の像が安置されています。
- 白山神社: 大王寺のすぐ隣には粟津白山神社があり、併せて参拝することで、より深いご縁を感じられます。
文化財
小松市指定文化財として、鎌倉初期に造られた薬師如来坐像が大王寺に所蔵されています。
アクセス
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
名称 | 大王寺 |
読み方 | だいおうじ |
参拝にかかる時間 | 15分 |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0761-65-1217 |
ホームページ | https://www.daioji.net |
住所 | 石川県小松市粟津町ワ-87-1 |
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近くの神社仏閣
- 粟津白山神社: 大王寺のすぐ隣に位置する神社で、共に泰澄大師ゆかりの地です。
- 本広寺(ほんこうじ): 粟津温泉周辺にある寺院。
参考


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