東京台東区の松が谷の町内の旧浅草松葉町の氏子神社である。
浅草名所七福神に含まれ矢先神社では福禄寿をお祀りしています。
東京浅草、厩橋(うまやばし)のたもとに静かに佇む矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)は、江戸時代に徳川幕府の弓馬術練習場であった馬場に創建された、ユニークな歴史を持つ神社です。その名の通り、「矢の先」にご利益があると言われ、スポーツ上達や勝負運、そして商売繁盛や学業成就にご利益があると信仰されています。境内を彩る天井絵馬も見どころで、浅草散策の際にぜひ立ち寄りたい隠れた名所です。
御祭神
- 倉稲魂命(うかのみたまのみこと): 食料・穀物の神、商売繁盛の神。
ご由緒
創健、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時。
武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てる。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。
歴史
寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行したようです。この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。いまからおよそ360年前のことになります。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。
創建以来、創業、学業、人徳の成就と武運長久の神徳に、武士、町人を問わずに尊信を篤くしました。
ところが約60年後の元禄11(1698)年9月6日、浅草を中心として大火で焼失してしまい、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。
その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭いましたが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至っています。
伝説
特定の有名な伝説は多く語られていませんが、馬場の守護神として、将軍家や武士たちの武運長久、弓馬術の上達を祈る場所であったことが、そのまま現代のスポーツや勝負事にご利益があるという信仰へと繋がっています。
ご利益
- スポーツ上達・技芸向上: 特に弓道や馬術、その他あらゆるスポーツの技術向上にご利益があるとされます。
- 勝負運・合格祈願: 「矢が的を射る」ことから、試験合格、就職活動、宝くじ、競馬など、あらゆる勝負事にご利益があるとされます。
- 商売繁盛・開運招福: 稲荷神であるため、商売繁盛や金運向上にご利益があります。
- 学業成就・厄除け
境内の見どころ
- 本殿の天井絵馬: 拝殿の天井には、江戸時代に描かれたとされる美しい百態の馬の絵が飾られています。様々な姿や表情の馬が描かれており、その見事さは圧巻です。この絵は年に数回一般公開される期間があります。
- 旧馬場跡の石碑: 境内には、かつてこの地が馬場であったことを示す石碑が建てられています。
- 静かで落ち着いた雰囲気: 浅草の喧騒から少し離れた場所にあり、静かに参拝できる穴場スポットです。
アクセス
ご祭神 | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、福禄寿 |
創建時代 | 1642(寛永19)年 |
本殿 | 権現造り |
名称 | 矢先稲荷神社 |
読み方 | やさきいなりじんじゃ |
参拝時間 | 御朱印受付時間 午前9時~午後4時30分 |
参拝にかかる時間 | 約3分 |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
電話番号 | 03-3844-0652 |
住所 | 東京都台東区松が谷2-14-1 |
最寄り駅 | 銀座線 稲荷町/田原町 約10分 各線浅草駅 日比谷線 入谷駅 約15分 |
近くの神社仏閣
- 鳥越神社(とりごえじんじゃ): 徒歩圏内にある古社で、例大祭の千貫神輿で有名です。
- 浅草寺(せんそうじ): 浅草の象徴的な寺院で、雷門や仲見世通りが有名です。
- 浅草神社(あさくさじんじゃ): 浅草寺の隣に位置し、「三社祭」で知られます。
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