浅草名所七福神お散歩

観光

七福神巡りの途中で立ち寄る浅草の名跡は、江戸文化の香りを感じる場所ばかり。例えば、観音様の境内を中心に、古いお寺や歴史的な建物が点在しており、歩くだけでタイムスリップしたような気分に!また、浅草の街並みには、下町の温かい雰囲気が漂っています。散策途中で見つかる老舗の和菓子屋さんや、香ばしい匂いが漂う食べ歩きスポットも楽しみのひとつ。

七福神巡りなのに“九社寺”の不思議

浅草を訪れるなら、ぜひ「浅草名所七福神巡り」にチャレンジしてみませんか?実は、この七福神巡りには“九社寺”も含まれているんです!「九」は単なる数字ではなく、「数の極み」や「天地の至数」を表し、古来から縁起の良い数字とされ「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」そんな歴史深い由来を持つ浅草七福神巡りは、運気を上げたい方にはぴったりのお散歩。

この七福神巡りは、ただの観光ではなく、歴史や文化に触れながら心をリフレッシュする特別な体験です。ぜひ、浅草の魅力を全身で感じながら、あなた自身の幸運を呼び込む素敵な旅に出かけてみてください!

ルート

2時間で8.2kmのコース

浅草名所七福神巡りと寄り道お散歩

浅草名所七福神ルート

後半寄り道ルート

なぜ人は七福神を信仰するの?

人は誰でも、悩みや不安を抱えたり、幸せになりたいと願ったりしますよね。そんな時、昔から人々は神様や仏様に助けを求めてきました。これが信仰の始まりです。

「開運」と一言で言っても、人によって願い事はさまざま。家族みんなが安全でいられますように、仕事がうまくいきますように、素敵な出会いがありますように、赤ちゃんが元気に生まれますように、子供がすくすく育ちますように、出世できますように、試験に合格しますように、いつまでも健康で長生きできますように…本当にたくさんの願いがあります。

七福神信仰も、こうした人々のさまざまな願いを叶えてくれるものとして生まれました。

昔のお経に「七難即滅 七福即生(しちなんそくめつ しちふくそくしょう)」という言葉があります。これは、「神仏の教えを信じ、正しく行動すれば、世の中の七つの大きな災難(太陽や星の異変、火事、洪水、風の被害、日照り、盗難)はすぐに消え去り、代わりに七つの福が訪れる」という意味です。

この「七つの福」が具体的に何かは、時代や人によって変わります。つまり、あなた自身の「心」が求める幸せの形とも言えるでしょう。それでも、七福神を信じることで人生が救われたと感じる人がたくさんいたからこそ、この信仰は今日まで続いているのです。

七福神信仰はいつから始まったの?

  • 鎌倉時代: 日本に昔からいた恵比須様(漁業や商売の神様)に、インドから中国を通ってきた大黒天様(食べ物の神様)と弁財天様(学問や芸術、お金の神様)が仲間入りしました。
  • 室町時代: この三柱の神様が庶民の間で人気になると、さらに毘沙門天様(勝負事の神様)、布袋尊様(家庭円満や幸運の神様)、福禄寿様(幸せと長寿の神様)、寿老人様(長寿の神様)が加わり、人々のあらゆる願いに応える「七福神」として信仰されるようになったと言われています。
  • 江戸時代: 有名なお坊さんである天海僧正は、徳川家康に「寿命、財産、人望、清らかさ、威厳、愛嬌、心の広さ」を七福として説き、これらが政治を行う者の理想の姿だとしました。

七福神めぐりはどうして人気になったの?

八代将軍吉宗のころになると、平和な時代が続き、庶民の生活も豊かになりました。江戸の町にはたくさんの名所ができ、お参りと観光を兼ねたお出かけがブームになったのです。これは、今の私たちが便利で豊かな生活を送っているのと、少し似ているかもしれませんね。

江戸時代の終わりには、商売繁盛や健康、さまざまな願いを叶えてもらうために、各地で七福神めぐりが大流行しました。特に、お正月の松の内(1月1日~7日または15日)にお参りして、一年間の幸せを願うスタイルが広まり、これが今日の七福神めぐりの形になったのです。

浅草名所七福神も、江戸時代からとても有名でしたが、戦争の影響で一時中断していました。しかし、昭和52年(1977年)に復活し、今も多くの人々に親しまれています。昔から江戸の人々にとって、霊験あらたかな福の神として、心の支えになってきたのですね。

浅草名所七福神

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