スマホ時代に失われた「知の深さ」を取り戻す読書術

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スマホが普及し、読書離れが加速する現代。手軽なデジタル情報は直接的な答えをくれるが、本が提供する背景や本質は「ノイズ」と感じられがちです。しかし、読書には予期せぬ発見、深い教養、想像力、そして人生を変える力が。この読書離れは「反知性主義」を招き、社会の対話力を奪う危険性も。デジタルと本のバランスを取り、豊かな読書習慣を取り戻しましょう。

はじめに:情報過多の時代、あなたは本を読んでいますか?

現代社会において、知りたいことや最新のニュースは、もはやスマートフォンの検索やSNSで瞬時に手に入ります。手軽に、そして素早く情報が得られるこの便利さは、私たちの生活を豊かにしてくれました。しかし、その一方で、「読書離れ」という深刻な現象が進行しています。

文化庁が昨年行った調査では、1ヶ月に1冊も本を読まない人の割合が62.6%にも上るという衝撃的な結果が報告されています。さらに、全国の書店数はこの10年間で約3割も減少しており、読書を取り巻く環境は厳しさを増すばかりです。私たちは本当に、このままで良いのでしょうか?

第1章:なぜ本は「ノイズ」と感じられるのか?デジタル時代の落とし穴

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の著者である文筆評論家の三宅かほさんは、現代人が本を「ノイズ」と感じてしまう傾向を指摘しています。

私たちは今、何か知りたいことがあれば、インターネットで直接答えを探すことに慣れています。そのため、本が教えてくれるような「なぜそれが起こったのか」や「どういう経緯で起こったのか」といった背景や本質的な情報が、かえって「余計な雑音」、いわば「ノイズ」に感じられてしまうのです。

SNSや短い動画ばかりに慣れていくと、自分の知っている範囲のことだけを楽しむような情報環境に陥りがちだと三宅さんは警鐘を鳴らします。関心のあることばかりを深掘りし、関心のない情報には目が向かなくなることで、視野がどんどん狭くなる危険性があるのです。

第2章:デジタル情報だけでは得られない「読書の特別な力」

しかし、デジタル情報だけでは決して得られない、本だからこそ提供できる特別な力があります。

「知の寄り道」が生む、予期せぬ発見と視点の拡大

スマホでの情報収集は、アプリや検索エンジンを通じて行われるため、私たちの関心のある情報ばかりを深く掘り下げてしまいがちです。しかし、浜田敬子さんは、書店や本を通じた読書は、AIやアルゴリズムに支配されない「知の寄り道」のようなものだと表現しています。それは、意図せずして「気づかなかったものに出会える」豊かな世界であり、私たちの視野を大きく広げてくれるのです。

本質的な理解と深い教養を育む

例えば、今世界で戦争が起こっている理由を考える際、SNSでは選挙結果などの速報はすぐに得られますが、本からは背景となる文化や歴史などの本質的な知識や深い教養が得られます。出来事の背景にある多角的な視点や経緯を理解することは、私たちの世界観を豊かにし、物事を深く捉える力を養います

想像力・共感力を養い、多様性を受け入れる土台に

読書は、知らない世界や異なるものへの「想像力」を養う力があります。また、三宅さんは、読書離れが進むことで「自分にとって心地よくない意見を受け入れづらくなる」と指摘しています。SNS中心の環境では、自分にとって心地よい情報ばかりに触れ続けることで「認知の癖」が強まる傾向があるため、読書は異なる人々の背景を理解し、多様性や普遍的な価値観を学ぶきっかけとなります。

人生を揺り動かし、課題解決へと導く力

元中国からの留学生が村上春樹の「ノルウェイの森」を読み、「自分は自由に生きていいんだ」と心から思い、人生を変えたというエピソードが紹介されています。松原耕二さんは、「物語や読書は人間の感情の深いところを揺れ動かし、まさに人生をも変える力を持っている」と語り、読書を「冒険」と表現しています。 また、浜田さんは、読書は個人的な課題であれ組織の課題であれ、目の前の課題をどう解決すれば良いかという「知恵」を与えてくれる「プラットフォーム」を作る力があるとし、この「文化力」を持って課題解決に立ち向かうことが重要だと強調しています。

第3章:読書離れが社会にもたらす深刻な影響

読書離れの進行は、個人のみならず、社会全体にも深刻な影響を及ぼすと懸念されています。

「反知性主義」の台頭と「理解と対話」の喪失

日本ペンクラブの山田副会長は、「反知性主義」という言葉に言及し、複雑なことを考えなくなり、他者を理解する必要がないと考えることで、「理解と対話」が社会全体から奪われることへの危機感を表明しています。読書なき社会の負の側面として、社会全体で考える時間が失われつつあるのです。

学力・社会性の土台の崩壊

長い文章を読み込み、その背景や経緯を理解する力は、学力や社会性の土台になると指摘されています。SNS中心の環境では、この基礎的な力が育まれにくくなる可能性があります。

私たち自身が「本を手に取らない」という選択

歴史を振り返れば、ナチス・ドイツでの焚書事件や中国の文化大革命、戦前・戦中の日本での発禁処分など、しばしば専制的な権力は書物を危険とみなし、排除しようとしてきました。しかし、今や私たちは、権力によって危険とされた思想や不都合な真実を記した本を「手にするな」と言われるのではなく、私たち自身が自ら本を手に取らなくなっているのです。山田副会長は、戦争を止め、平和を維持し、貧困をなくすためには、「知」を高め、それを文化として継承していく必要性があると訴えています。

おわりに:スマホ時代における「読書」という豊かな習慣

もちろん、今さらSNSをなくすことは不可能ですし、デジタル情報の利便性を否定するものではありません。しかし、だからこそ、私たちは読書の機会を維持することの重要性を再認識すべきです。

三たらさんは、SNS時代に適応した認知機能を育むと同時に、読書を通じて人類の「共生社会」を守っていくという視点を持つことの必要性を提言しています。

スマホで得られる手軽な情報と、本が与えてくれる深い洞察や教養。それぞれの利点を理解し、バランス良く活用すること。それが、情報過多の時代を生きる私たちが、より豊かな人生と、より多様性を尊重する社会を築いていくための鍵となるでしょう。さあ、今日からもう一度、本を手に取ってみませんか?

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