徳大寺(とくだいじ)は、東京都台東区上野4丁目アメヤ横丁のほど近くにある日蓮宗の寺院。山号は妙宣山。本尊は大曼荼羅。開運摩利支天を祀ることから下谷摩利支天(したやまりしてん)とも呼ばれる。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。
本尊
摩利支天(まりしてん)
山号・宗旨・宗派
- 山号:なし
- 宗旨・宗派:日蓮宗
歴史
徳大寺の創建は、江戸時代初期に遡るとされています。江戸幕府開府後、日蓮宗の僧侶によって開かれ、当初は徳川家康の庇護を受けたとも伝えられています。特に、摩利支天信仰が盛んだった江戸時代には、武士階級からも厚く信仰されました。摩利支天は、戦国時代には武士の間で「勝負の神」「身を隠す神」として崇められ、徳川家康も摩利支天像を念持仏としていたと伝えられています。徳大寺は、江戸の町人文化が栄える中で、アメヤ横丁の前身となる市場の中に位置し、人々の信仰を集めてきました。現在の建物は、関東大震災や東京大空襲などの災禍を乗り越え、再建されたものです。
ご由緒
江戸時初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建され、正式には日蓮宗妙宣山徳大寺と申します。また、仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから、下谷摩利支天とも呼ばれて参りました。
寺宝として奉安する摩利支天像は、江戸時代中期の京都にて霊夢感得されたご尊像と伝わり、宝永五年(一七〇八)九月に当山へ安置されました。その一連の経緯は、文化十二年(一八一五)に発行された『摩利支天略縁起』に、次のように記されております。
「当寺奉安の摩利支尊天は、施無畏の後身、聖徳皇太子の御手彫なり。下総正中山法華経寺、第五十五世、成遠院日達上人、京北叡昌山本法寺貫頂として、既に正中輪番に下らんとて、東方弘通の擁護を祈られしに、或夜夢らく、尊天来臨ましまし、東の方に立たせ給うと。実に其年正月二日の夜なり。覚めて後、見に一?の霊像を感得し見るに、夢に拝する如く異なることなかりき。躬暫くも離たず。弘通功成りて、帰京の日、霊夢の事を思い、此尊天、東土に縁のましますとて、即ち当寺に什襲奉安し、永く自他の利益を仰ぎ願う。」
以後、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の御利益を授かろうと、全国よりの絶えざる善男善女の参詣により山門は俄然活況を呈し、いつしかその門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。
伝説
摩利支天信仰には以下のような伝説があります。
- 武士の守り神: 戦国時代の武将たちが、摩利支天を念持仏として常に身につけ、戦に臨んだと言われています。姿が見えない摩利支天が、敵の目をくらませ、危機を回避させると信じられていました。
- 猪との関係: 摩利支天は、しばしば猪(いのしし)に乗った姿で描かれます。これは、猪が困難に屈せず、一途に前へ進む力強さを象徴しているとされ、摩利支天のご利益である「勝ち運」や「前進」を表しています。徳大寺にも摩利支天像と共に猪の像が祀られていることがあります。
ご利益
- 商売繁盛
- 開運招福
- 勝ち運向上
- 厄除け
- 病気平癒
- 諸難消滅
境内の見どころ
- 摩利支天像: ご本尊である摩利支天像は、寺院の中心であり、参拝の核となります。
- 猪の像: 摩利支天と共に祀られていることが多い猪の像にも注目です。
- アメヤ横丁の活気: 賑やかなアメヤ横丁の中に位置するという、その独特のロケーション自体が見どころの一つです。
アクセス
ご本尊 | 大曼荼羅 摩利支天 |
宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 未詳(江戸時代前期) |
開山・開基 | 日遣 |
名称 | 摩利支天 徳大寺 |
読み方 | まりしてん とくだいじ |
通称 | 下谷摩利支天 |
参拝時間 | 6:30~18:30 |
参拝にかかる時間 | 15~30分 |
御朱印 | あり |
電話番号 | 03-3831-4541 |
ホームページ | https://marishiten-tokudaiji.com |
住所 | 東京都台東区上野4-6-2 |
最寄り駅 | ◼︎都営大江戸線 上野御徒町駅 徒歩約1分 ◼︎JR山手線 御徒町駅 ◼︎JR京浜東北線 御徒町駅 徒歩約3分 ◼︎東京メトロ銀座線 上野広小路駅 徒歩約4分 |
近くの神社仏閣
- 上野東照宮: 徳大寺から約850m、徒歩約10分の距離に位置します。上野公園内にあり、徳川家康公を祀る豪華絢爛な神社です。
- 神田神社(神田明神): 徳大寺から約950m、徒歩約12分の距離に位置します。江戸総鎮守として有名で、近年はアニメやサブカルチャーとのコラボでも人気を集めています。
- 湯島天満宮(湯島天神): 徳大寺から徒歩約10分圏内。学問の神様として有名な菅原道真公を祀る神社です。
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